◇さて

 ぼくもご他聞にもれず、卒業の話題を書きましょうか。みんな書いてるからちょっと恥ずかしかったのだけど、逆に開き直ってまいりました。たぶんゴミ袋がなくてごみだしができないこと、或いは漏電により、電気コンロをつけるとブレーカーが落ちる(料理なんて一切できません)などのやけくそな状況がそうさせたのかもしれません。
 そういえば、卒業式の前日(つまり24日)に今年早稲田に入学する子に会いました。卒業する日の前日に、新入生と会うというのは中々に貴重なような。彼の大学に入る心構えなどをきくにつけ、大学に入る意味みたいなものをもう一度考え直してしまった。
 で、どうだったんだ、おれの大学生活。というかそもそも何をしにここに来たんだ。入学したときにそんなこと1ミリも考えていなかったなぁ。ただ、ぼくはこういう性格で、だから、友達できなそうだなぁ、としか思ってなかったような。恋人もできず鳴かず飛ばずで4年間すぎてしまいそうだなぁ、なんて入学してすぐにかかった病気で入院しているときにおもったような。たぶん決定的に欠けていたのは主体性だろうな。“ああしたい、こうしたい”ってのが凄く曖昧で、だから自分自身で何かを選びとる、ということに消極的だった。自分の身体だから、ある程度は思い通りになってはくれるんだけど、それを持て余していて、何をしたらいいのか分からなかった。
 だから2年になってゼミが始まって、“ああここに全力を傾ければいいのか”、って思えたときは随分と楽になった気がする。そこには全力を傾けるに足る自由なステージが予め用意されていたのだから。何かに全力を尽くすというのは僕の得意とするところで、大概のことは一生懸命できてしまうということを知れたのはかなり大きかった。だけどここに主体性があったのかと訊かれればそれはまぁ、よくわからん。だってぼくはあまり物事に対して面白いとか、そういうこと思わないんだもの。原則的に“ただ全力を傾ける”ということが出来てしまう人種なんだ、僕は。よく分からないまま一生懸命、って状況が3年まで続いていく。そうやって気付いたら唐突に“お前は何がしたいんだ?”って面接官に問い詰められる日々が始まっていて。
 で、情けないことに気付くわけだ、自分はこれまで何も選択していないってことに。ただ流れてきただけだって。よく考えずに全力を傾けてしまうからそんなこと気付かなかった。

***** 続く。